
子供たちにおいしいヤキニクを振る舞いたいとの、どうげんオーナーの気持ちから始まったこの炊き出し。
反省点も色々とありました。この避難所はどちらかというとあまり状況が改善されていない部類に入るところだそうで、ご飯もやっとまともに出始めたらしいのです。とはいえ、冷えたお弁当レベルだそうで、他の避難所に比べ遅れているわけで、情報網もあまり確立されていないらしく、当日出かけてしまったり、炊き出しを行うことすらあまり伝わっていなくてお昼ご飯を済ませてしまったりと、ちゃんと情報が行き届いていなかったりしました。難しいものです。徐々に、戻ってきた方々がこんなのやっていたんだと、現れるような状況でした。
結局の所、やはり、同じ場所に何度も行って、避難所の人たちと交流をして、情報を行き届けるようにしなくてはならないという感じでしょうか。

夕方前には撤収をして、僕たちのチームは女川港へと向かいました。行く途中、こんな所まで津波が来たんだという所を走っていき女川港へ到着。
雨のせいでニオイがもの凄くきつく、そんな中、自衛隊などの人たちが黙々と作業をしていました。女川港は周りが山になっているので、まるでこういうセットを作ったんじゃないかという現実とは遠く離れた風景が広がっていて正直実感は湧かなかったけど、もうすごいことが起きていたんだということしか言いようがないです。

かたづけられた瓦礫が山積みにされていて一旦集めているそうなのですが、この先これはどうするんだろうというぐらい、瓦礫の山は広がっていた。

帰り道を地図で見ると、石巻港もまわれそうだったので、そちらにも行ってみた。海沿いの道があったのでそっちに行ってみようとクルマを走らせると、その道は水没していて無かったのでその一本手前の道を走っていった。
石巻港もまた、女川とは違った感じで、平面的に建物の残骸が広がっている。中にはTVで見た略奪にあった倉庫などもちらほら。冷凍倉庫以外にも化学工場もある場所なので、薬品も結構流れてしまった所らしいです。
こうして、石巻を後にし、帰路につきました。
写真では見ていたけど、まったく生で見るのは違いました。荒廃した場所の広さが尋常じゃないので、想像以上のすさまじさです。これでも、だいぶ片付けられ、道路も走れるようになり、機能を取り戻しているわけで、災害直後はそれこそ想像を絶するものだったんでしょう。